この世界は属性の力のバランスで成り立っている。火、水、土、木、金と光と闇。それらが偏れば極寒の地や熱帯雨林、砂漠などが広がるし、光と闇が偏れば夜が開けない場所や、夜がやってこない場所が出てくる。
私の家はそのバランスを正すのが役目らしい。そして、その役目を担うのが次期当主である私だとも。
もう何百回も教育係に言われた言葉だ。
「そんなことを言われてもな」
木の上で不意に訪れた精霊を指であやしながら呟く。今日も教育係は地上で私を探している。ご苦労な事だ。
「全てを平均化することは良い事じゃないでしょ。それによって生まれる文化もあることは確かなんだから」
なあ?と精霊に言ってもまだ自我を得ていない子供の精霊は首らしき部分を傾げるだけだ。
次の場所に行きな、と離せばふわふわと空中を泳いでいく。あの精霊は光の精霊だ。多分彼女が居着き、成長した場所に柔らかな光をもたらすことだろう。
「紅玉様!!!!」
「今回は早かったな」
下を見れば茶髪を乱しながらぜえぜえと息を切らす教育係。私はこの教育係が好きではない。全てを均一にすれば平穏が訪れると盲目的に信じているから。
「もうすぐ旅に出るのですよ!その日までに覚えておかなければならないことがあります!」
「あなたが教える本の内容は全て覚えた」
「記述だけでは分からぬこともあるでしょう!」
「あなたの思想は偏りすぎている。学ぶことは何もない」
そう告げれば教育係は絶句する。それを横目に木の上から飛び降り、そのまま屋敷へと向かった。
父はこの家で何があろうとも、如月家を脅かさなければ何も言わない。そして、義母は自分の子が私の次になることに執心している。ただ、あの翠目の弟はそこまで才能はない。優秀ではあるが。
この家の人間から学ぶことは心や感情についてのみでいいと思っていた。世界について知るなら、永く生きた精霊や竜がいるのだから。だけれども、実際蓋を開けてみればこの通りだ。権力と欲望しか渦巻いていない。
だから私は外の人間から学ぶことにした。もうすぐ私は旅に出る。世界を巡り、神殿を訪れる旅だ。
そこで崇められる神と交信し、属性のバランスを正すのだと言う。
世界の属性バランスは崩れつつあった。だから行うべきことなのだと教育係は言う。
崩しているのは人間であるのに、それは正さないらしい。人間らしい傲慢さだと思った。
「紅玉」
自室で声を掛けられる。振り替えずとも分かる。
「刹那か」
自分と同じ赤い髪に、自分とは違う黒い目の男。分家の人間で、訳ありの存在。
「お前の教育係泣いてたぞ」
「いつもの事でしょう」
「そうだけどよォ」
見れば行儀悪く襖の縁に寄りかかっていた。壊れるから適当な場所に座りなさいと言えば素直に畳の上に胡座をかく。
「もう少し優しくすれば?」
「そうすればつけ上がるでしょう?」
「分かんねえぜ?」
刹那を見る。
この子は厄介な紋章を宿してきたからと幼い頃から閉じ込められていた。なのにこうやってたまに人間の味方をするような物言いをする。
「紅玉はさ、人と触れ合った方がいいと思うぜ」
「充分しているよ」
「身内とじゃなくてよ、町の人とか、他の人間と」
不思議なことを言うようになった、と思う。最初は会う人間全てに警戒していたのに。暴走する彼を鎮めるのにも一苦労した。
あの紋章は如月への憎悪が込められているから。
「……ああ、そうだ」
「あ?」
「刹那、君は私の旅の同行者だ」
「はァ!?」
告げれば前のめりに叫ばれる。声が大きい。
読んでいた書類を置いて振り向く。どうせ父がもう既に処理をしているものだ。
「決定事項だ。反対する人を言い伏せるのには苦労したよ」
「本気かよ!」
「本気だよ。君を此処に置くと煩い人間が何をするか分かったものじゃない」
この家は煩わしい存在が多すぎる。如月というブランドをいかにして保つかどうかしか考えていない人が多すぎるのだ。不穏分子である刹那をどうするかなんて想像に容易い。僻地に飛ばすだろう。生きるのが困難な場所へ。属性バランスを正せという口で属性バランスが酷く乱れている場所においやるのだから権力を持っている人間は信用出来ない。
だから父はああまで人間性を損なわれてしまったのだから。
「旅支度はきちんと済ましておくこと。旅立ちは三日後だ」
「お前こそな!?」
どうしてこう言われるのかは甚だ疑問だが。
そして三日後、屋敷の門に立つ人間を見て顔を顰める。
「貴方は書類に載っていなかったはずだ」
「私だってまさか入れられるとは思っていませんでしたよ」
あの教育係がいた。
どうしているのかと問えば、上の者にお目付け役として付けられたらしい。可哀想に。多分刹那対策にだろう。
「……まあいい。独月光と赤月刹那、それと……」
「月星直己です」
「月星だな。武器は?」
「ある程度の回復と攻撃魔術ですが」
魔術を扱う人間がこれで三人目となる。近接か鎧を着れるのならまだ良かったのだが、仕方ないだろう。如月に従う人間は割と魔術主義だ。
「……バランスが悪いな。ギルドで人を雇うか」
「雇うのですか!?」
「耐久面が心許ない。それに魔力が尽きた時お前達はどうする?」
「うっ……」
「そういう事だ。それに排他的すぎるのは良くない。……安心しろ、信頼出来るギルドがこの街にあるから」
「あいつ信頼って言葉を知ってるんだな……」
肩を落とす月星を横目に歩き始める。刹那が小さく何かを言った気がするが無視をする。
「あなたが私のお目付け役としても、私の言うことには聞いてもらうからね」
「……分かりました。紅玉様に従いましょう」
「様付けではなくさん付けでよろしく」
「ええ!?」
「無茶を言いやがる……」