一閃


 ふ、と息を吐き刀を振り抜く。

 すぱ、と袈裟斬りにされた畳表はそのままぱた、と道場の床の上へと落ちていく。

 どうやら自分の腕は落ちていないらしい。刀も不備はない。

 あたりは静かで、付けられた明り以外には月明かりしかなかった。ただ違うのは、

「良く斬れる業物だな」

 自分が持つ白鞘を見ながら、そう言うあいつがいる以外には。

「一級品を揃える親だったからな」

「……実の親か」

「クソみてえな親だったよ」

 かちん、と刀身を鞘の中に収めたあと畳表を片付け、次に竹入りのを取り出す。

 畳表を斬れても、これを斬れなければ出入に持っていく事は出来ない。この試し斬りで刀身が曲がってしまっても、持っていくことは出来ない。

 早く鍛冶工房を見つけなければ。

「……」

 竹入り畳表の前に坐り、精神統一をする。

 す、と音が無くなり、心が凪いでいく。この感覚は、居合を始めた頃から好きなものだった。

 あの時は、この瞬間だけ様々なしがらみから解放された気分になったものだ。

 全てを鎮め、目の前の目標にだけに集中する。

 そうすれば、幼い頃からの相方はきちんと俺に応えてくれる。

「ッ」

 白鞘を抜き、一閃。

 竹の硬さを手に感じるが、刃はそれを断ち、畳表を斬る。

 とん、と斬れた畳表が床に落ちるのを見て息を吐き刀身を収める。

「俠、お前なんで此処に来たんだ」

「何でもいいだろ」

「……」

 夜、こんな場所の門前で待っていたヤツの言葉に頭を掻く。

 この坊ちゃんはこうやって時々おかしなことをする。

「まあ、お前が此処に事を持ち込まねえ限り構わねえが」

「ただの鷹加里俠で、お前もただの夾鐘閃なんだろ?」

「分かってんならいい」

 息抜きにここに来たのに、此処にまで組同士のいざこざを持ち出されたら堪らない。

 この中でくらい何も考えずに刀を振るいたいのだから。

「その刀を別のにしようとは思わねえのか?」

「ないな」

 その言葉に即答する。

「…………ほお」

「あの両親は子を道具としか見てねえようなクズだったが、こいつを与えてくれたことだけは感謝してる。……二十数年の付き合いだ、今更手放せねえよ」

 これが無ければ、居合がなければきっと自分はすぐに潰れていたのだろう。文武両道を掲げていた親の教育方針で良かった、とは思っている。

「親を憎んでいるとしても、この刀にゃ罪はねえ」

「…………」

「そろそろ帰れ、鷹加里のヤツらが騒ぐ」

「今日は外で泊まるって言ってある」

 その言葉に時間が止まったような気がした。

「…………お前、此処に泊まる気で来てんのか…………?」

 そう言いながら振り返れば、後ろにいた俠はただ笑うだけだった。それだけで、本気だということが分かる。

「…………」

 溜息を吐いた後、舌打ちをする。確かに部屋も布団も用意されている。昔はここに住み込んでいたらしいから、その名残で今も残っていた。

「心配すんな、早朝には戻る」

「居座られても困る」

 道場主が来た時、俠がここに居ては面倒だからだ。他の奴らにとっては、俠は俠ではなく、鷹加里組の若頭なのだから。

「寝巻きはあんのかよ」

「ねえな」

「馬鹿なのか……?」

 目の前の男はスーツ姿だ。ジャケットを脱いだとしても、シャツは皺になるだろう。かといえ、ここにあるのは道着くらいだ。部屋着のようなものは何も無い。

「部屋着を持ち込むホテルに泊まるわけねえだろ」

 舌打ちをした。そういえばコイツは金があった。

「コンビニで服でも買ってこいよ」

「もう使わねえもん買ってどうする」

「今使うんだろうが」

 この坊ちゃんめ、と毒づきながら道具を片付ける。

「風呂は」

「まだだな」

「…………」

 着替えを持ってきていないのに何故入ってこねえんだ、という言葉は飲み込んだ。

「……買ってくるから金出せ」

「ん」

 財布から金を出す俠に溜息を吐く。

 甘いとは思う、がここに居る間だけだ。

「風呂溜めとくから、溜まったら入れよ」

 そう言い、金を持ち支度をする。

 掃除を先にしていた風呂桶に湯を溜めながら、予想外の宿泊者に明日の朝飯をどうするか考えていた。