箍を飛ばして底へ沈む


 自分は酒に弱い人間だと自負している。

 一種の酒を飲み続ければ酔わないが、そこにもう一つ、別の酒を呑めばたちまち身体中に酔いが回り、箍が外れてしまうのだ。

 だからこそ、飲み会に行っても甘いファジーネーブルか、カシスオレンジしか飲まない。

 他の人に勧められても、口を回して回避してきた。

 酔った自分はあまりにも本能的で、理性の欠片すらもないような醜態を晒してしまうから。

 それを、赤の他人に見せるのは厭だったからだ。


 だけど、今の自分に必要なのはその醜態なんだろうと確信していた。


「……」

 相手が立ち、トイレに行くのを見て隠しておいた缶チューハイを取り出して流し込む。しゅわしゅわとした炭酸とアルコールが喉を通る感覚に目を細めた。一気飲みするようなものではない。

 アルコールはすぐに胃に到達し、吸収されていく。身体はすぐにアルコールに反応して熱を持ち始める。

 その熱で頭が融けたようにもやがかかり始める。この感覚はどうも苦手だったけれど、次第にそれも分からなくなっていく。自分の理性はアルコールに滅法弱い。

 もう一本、缶を開けて空にする。

 もっと飲まないといけない。酔いが醒めてしまわないように。

 ドアノブが開く音がして、その方向に顔を向ける。

「何してんだ?」

「おかえりなさぁい」

 ふわふわとしたまま、笑みを浮かべて言えば、喜多川さんは呆れた顔をする。

 おかしい、普段なら自分の醜態を見てげらげら笑うはずなのに。

「まーた変な事考えてんだろお前」

「変な事ってなんですかあ」

 むす、と表情を変えながら、また新しい酒に手を伸ばす。

 お酒は好きだ。ふわふわして、なんだか、よくわからなくなってくるから。

「没収」

「あー!?」

 だけどその缶はすぐに喜多川さんに取り上げられてしまう。想定外の展開にまいってしまう。

「あの時はじゃんじゃか飲ませてたくせに」

「ありゃあそこのルールだろ。そもそも俺は飲ませてねえわ。お前が呑んでた」

「どっちでもいいですよお」

 ふわふわした感覚は段々と落ち着いてくる。その感覚に少し恐怖する。

 まだ何も言えてない。言うために理性を投げ捨てようと酒を飲んでいるのに。それはいけない。

「返してくださいー」

「また何かあったのか?」

「何もないですよお」

 いつもと違う喜多川さんの顔を見てけらけらと笑う。なんか変だ。いつもなら喜多川さんは笑っているのに。

 なんでなんだろう。

 あの人の手元に攫われたアルコールを取り戻すのは諦めて別の缶を開けて一気に飲み干す。喜多川さんが何かを言っていたようだったけど、無視した。

 だって、理性が邪魔なんだから。

 かっかと熱くなる身体に笑う。理性が融けて行って、本能が顔を出し始める。

 いつも抑えつけていた本音が早く出たくて喉を駆け上ってくる。

「喜多川さん~」

 ふわふわした頭のまま、喜多川さんにすり寄る。ぐりぐりと頭を擦りつければ、喜多川さんは黙って頭を撫でてくれた。

「俺ねえ、喜多川さんに言いたい事があるんですよお」

「ふーん?」

「酔ってる時の事は、全部覚えてるし、全部本心なんですよ」

 もう知ってるかもしれないけれど、と付け足した言葉に返事はない。

「あとですねえ」

「まだあんの?」

「ありますよ」

 ごろんと、そのまま床に横になる。

 火照った身体にラグのないフローリングはとても心地よい。

「これももう知ってるかもしれないけれど」

 笑いがこみ上げてきて、思わず笑ってしまう。

「もうとっくの昔に思ってたんですよ」

 さてはて、それがいつからなのかはもう思い出せないけれど。とっくの昔と言いながら、二年前の事だったかもしれないし、十数年前の事だったのかもしれない。

 誰かに捻じ曲げられたのかもしれない。それでもまあ、いいかなあと思っていた。

 言いたかったけれど、でも俺は、俺の理性は言うなと騒がしいから、今回酒で遠くにすっとばしたのだった。

「喜多川さんになら全部渡してもいいって」

 ただ、その一歩が踏み出せないだけだ。

「いつになく饒舌じゃねえかドム公」

「酔ってるからですねえ」

「ふーん?」

「でも、」

「でも?」

「喜多川さんの隣が埋まってるから、それだけでも十分かもなあ」

 今だけだったとしても、それでも十分奇跡に近いことだと思っている。

 そもそも、自分はどういう立ち位置なんだろうか?

 考えようとしても、理性がすっとんだ頭ではすぐに考え事が消えて行ってしまって分からない。こういうのは理性の仕事だから、戻って来た時に押し付けてしまおう。

 今はもう何も考えずにいたい。気がする。

 というか、眠い。

 喜多川さんには悪いけれども、このまま寝てしまおうか。

「おーい、寝るならベッド行けよお」

 すぐそばにいるはずの喜多川さんの声がなぜか遠くから聞こえる。

 それがなんか嫌で、喜多川さんにしがみつく。やっぱり傍にいた。

「ドム公?」

「おやすみなさい……」

「おいこら」

 そのまま意識が落ちていく。

 翌朝、この人はまだいるのだろうか。

 いたらいいなあ。

 そんなことをぼんやり思いながら。